沿革
興亜紙器株式会社の沿革です。
昭和5年9月 | 横浜市中区長者町9丁目にて創業者足立菊平により足立紙器製作所を設立。 |
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昭和11年8月 | 横浜市中区黄金町3丁目に工場を建設し移転。 |
昭和15年10月 | 有限会社興亜紙器製作所と改称、本社を横浜市南区白金町1丁目16番に置く。 |
昭和20年5月 | 大東亜戦争にて全工場焼失。 |
昭和20年8月 | 横浜市南区上大岡63番地に仮工場を建設し業務を続行。 横浜市中区黄金町3丁目の焼失跡に復活、工場を建設。 |
昭和23年11月 | 横浜市白金町1丁目16番地の焼失跡に170坪の本社工場を新築。 |
昭和25年5月 | 段ボール片面1号機を本社工場に設置。 |
昭和27年8月 | 資本金を100万円に増額。 |
昭和30年8月 | 横浜市保土ケ谷区岩間町60番地に第二工場を建設し、コルゲートマシンを設置、主として段ボールシートの製造と同製函の一貫作業をなす。 |
昭和33年7月 | 事業拡張に伴い南区永田町に敷地700坪建物400坪を買収、第二工場を移転し操業継続。 |
昭和33年8月 | 株式会社に改称、設立、資本金500万円(7月31日有限会社を解散) |
昭和36年3月 | 300万円を増額、合計資本金800万円。 |
昭和37年10月 | 第三工場建設用地として南区六ツ川に4,000坪を買収。 |
昭和38年4月 | 第三工場建設に着手同11月完成、コルゲートマシン並びに製函設備を新設。 |
昭和38年6月 | 資本金を1,200万円増資、計2,000万円。 |
昭和38年6月 | 大和市に第四工場用地1,000坪買収,事務所90坪、倉庫135坪を建設。 |
昭和39年6月 | 資本金を3,000万円に増資。 |
昭和39年11月 | 倍額増資をなし資本金を6,000万円とする。 |
昭和41年12月 | 事業集中管理を目的に第二工場を売却、第三工場を増築200坪完成と同時に第三工場を本社工場とする。 |
昭和45年9月 | 製函設備一式を新設し生産合理化並びに生産増強を計る。 |
昭和49年8月 | 事業発展に伴い最新型コルゲートマシン並びに製函設備を新設。 |
昭和50年4月 | 工場敷地内に厚生施設としてグランドを建設。 |
昭和54年5月 | 事業発展に伴い、スウェーデン製フレキソ・フォルダー・グルア・マシンを新設。 |
昭和57年6月 | 東芝機械製4色フレキソ・ダイカッター・フォルダー・グルアマシンを新設。 |
昭和59年11月 | 環境試験室及び試験装置を更新。 |
昭和59年12月 | 福島県白河市に工場用地3,000坪を買収。 |
昭和61年10月 | 工場敷地内に厚生施設としてテニスコートを建設。 |
昭和62年2月 | コンピュータによる生産管理体制を確立。 |
昭和62年12月 | 東芝機械製2色フレキソ・フォルダー・グルア・マシンの導入と伴にコンピュータによるオンライン生産を開始する。 |
平成3年4月 | 自動平盤打抜機を新設。 |
平成4年9月 | 福島県白河市に白河工場・第一期1,629m²完成。 |
平成6年1月 | (株)アリスミ21と業務提携を締結す。 |
平成8年7月 | 白河工場・第二期工場増築1,382m²完成。 |
平成15年8月 | ISO14001 認証取得 |
平成18年8月 | 安倍晋三官房長官 本社工場を視察 |
平成19年12月 | (株)アルプスカートンをM&Aにより全株式を取得し完全子会社とする |
平成24年6月1日 | 本社・工場を横浜市戸塚区上矢部町3537番地8に移転 |